230129 思い出言えるかな

最近ポケモンWordleにハマっている。
ポケモン全然やってないくせにって感じなのだが、ポケモンWordleはそこのところめちゃくちゃ行き届いてて、エンドレスモードでは何世代までのポケモンを出題するか範囲が決められるのだ。"強い"作品って、やっぱり懐古厨にもナウなヤングにも刺さるようにできてるわ、と思う。このポチポチした時間を無駄だと感じる一方で、最近めちゃくちゃ記憶力が落ちてるので脳トレにはいいんじゃないかとも思う。
こういう、記憶をひたすらさらっていく作業が俺はなぜか好きで、ポケモン言えるかな?
はもちろん、シンデレラガールズ言えるかな?も半年に1回ほど挑戦しては1時間くらいで我に帰るということを繰り返している。だいたいどの属性も残り5、 6人くらいできつくなってくる。前回答えられなかった子を今度こそ!と思って覚えておくんだけどそうすると今度は別の子がスポーンと抜けるから不思議だ。推し(もうデレマスまともにやってないので担当ではなく推しというのが正確だと判断している)の和久井さんを最後に答えるぞと思って残しておくのだがそこまでカンニングせずにたどり着けたことは1度しかない。言っとくけど1度でも結構すごいで?

こういう言えるかなゲームを作れるサイトがかつては存在したのだが、サ終のお知らせもなくひっそりとアクセス不能になってしまった。消える以前から決して繁盛しているようには見えなかった、というか、○○の○○なキャラ言えるかな?みたいな、うまく言えないけどなんか主観の割合が多い変な言えるかなが多かった気はする。俺はもっとこう、数え間違いようがないものを数え上げて満足したいんだよね。人はもちろん、地名とか駅名とか。いつも思うんだけど都道府県や山手線言えるかなぐらいはいつでもできるようにコレが公式です!ってやつ作って貰えないものだろうか。

そういえば、今唯一やってるワーフリというソシャゲのキャラで言えるかながどうしてもやりたくて、スプレッドシートで無理矢理それっぽいのを作ったのだった。

シート2のA列に答えを入力していく。入力した名前が正しければ、シート1の白字でキャラ名が入力されたセルに色がついていく。これだけでも羅列欲はわりと満たせるのだが、やっているとどうしても細部が気になってくる。フォームに入力した文字が回答することで消えたり、時間を測ってくれたり、そういう要素が欲しくなる。普通にシート行ったり来たりしないといけないからアナログ感強いし。何よりめんどくさいのは、あらかじめキャラ名を入れてあるシート1を、見やすさを考えてL列までにしたので新しいキャラが一定数追加されるたびに行を足さなくてはいけないことだ。これは何かもっとやりようあったんじゃない?と思うんだけど特に解決策も思いつかず惰性で継ぎ足し継ぎ足しし続けている。シート2も、入力した跡が残るし毎回消してからやり直さないといけないけど、これはこれでどういうつながりでキャラを思い出していったのかが分かるので悪くないと思わないでもない。ポケモンとかデレマスの言えるかなも、人がどんな順番で思い出していってるのか見てみたいとずっと思ってる。
しかしこのワーフリ言えるかなもずいぶん更新をサボってしまっているな。MOSの本買ったし、もうちょっといい感じにできないか手を加えてみるか。そういえば今は亡き言えるかなサイトにも関数言えるかながあったような気がする。俺も勉強として関数言えるかなをやってみるのはどうだ?
SUM
COUNT
COUNTA
COUNTIF
DATE
TEXT
TODAY
ROUNDDOUN
AVERAGE
AVERAGEIF
いややっぱやめよう。こんなの覚えても名前だけ頭に入ってちっとも使いこなせるようにはならないやつだ。矜子の底の浅さの一端は間違いなくこういうところにある。

 

おまけ
このことを書こうと思い立ってから我慢できずにシンデレラガールズ言えるかな?を久しぶりにプレイしたらこのザマだ。なんでキュートはコンプできてんだよ。

 

230126 第1回 萌え音発表会

寒さ極まる今日このごろですが皆様いかがお過ごしでしょうか。お待ちかねの萌え音発表会のお時間がやって参りました! 今回はどんな音が飛び出すのでしょうか???

amazarashi「世界の解像度」の3サビ

amazarashiは歌詞の面から語られることが圧倒的に多いが、俺ははじめて「夏を待っていました」を聴いたとき、サビの爽快感のあるメロディに感動してファンになった。異端か?
しかし今になって分かるのは、歌詞とメロディのどちらが優れているのかが重要なのではなく、「良い歌詞」「良いメロディ」というものはお互いに寄り添い、噛み合ってはじめて良いものとして認識されるということだ。そんなamazarashiのすごさを聴くたびに感じるフレーズがこれだ。

この部分が、3サビ1回目だと

きれいに階段を登って降りてくる形になっている!!
虚しさが次第に生命力に変わって広がっていく情緒的なCメロから、さあ君の番!みたいな感じで3サビが始まってドラムがズンドコになって一番盛り上がるところにこれが来る。急所。これはマジで聴いて確かめてほしい。響き合ってる! と絶対思うから。歌詞を聴かせたいからこそメロディも洗練されていく、amazarashiの極地というか妙技というか、うまく言い表せないけど、俺が思う「凄さ」の核心に迫るものがこの歌詞にはあると思う。

ONE OK ROCK「The Beginning」の2サビ

これは普通にみんな思ってるかもしれないし今更かもしれない。そうだったら恥ずかしい。

1・3サビだと2音入ってる部分が、2サビだけ1音を伸ばす形になっており、それゆえに1音にこもった感情もデカく感じられる。短く切り刻まれた音が長くなるとエモっ!! と感じることが多いんだけど、この現象に名前はあるのだろうか?
3サビではなく2サビにこれが来るのもいい。3サビの感覚的衝動も、1サビと同じではあるんだけどこの2サビを挟むことによってバフがかかってるように感じる。

 

HIKAKIN&SEIKIN「FIRE」の2B


萌え音と銘打っておいてだが完全に歌詞の話。
私は歌詞でのタイトル回収に魅力を感じる。サビの一番盛り上がるところではなく、AメロやBメロでサラッとシレッとタイトル回収される曲が好き。こいつ~~~~~!!!!!クゥ~~~~!!ってなる(今のところ一番の理想形はポルノグラフィティのメリッサ。何言ってんだコイツと思った方にもこれで何となく言わんとしてることはわかってもらえるのではなかろうか)。一方この曲は歌詞全体にタイトル要素は出てくるのだが同質のクゥ~~~~!を感じる。
タイトルに違わず炎、熱さ、赤といったフレーズがたくさん出てくるしPVも最初から炎上しまくっている。歌詞の全文は上記PVの概要欄を確認されたい。のっけから日本語で炎を連想させる言葉をちりばめた後、満を持してサビの最後に本来の英語のタイトルを持ってくるのがかっこいいですね。でも俺が言ってるのはそこじゃなくその後の炎なんです。間奏の後、2番は落ち着いた雰囲気で始まる。


https://youtu.be/QsxCWK77HMU?t=122

この「」に何かしらんけどグッと来る~~~~~~!
火属性のワードはたくさん出てくるが、フレーズのド頭に「」が来るのはここだけ。2番が始まってからこのフレーズまでの間は炎関係のワードが一切出て来ないのもより存在感を引き立てている。なんですかね、この、そっと、しかし重々しく置くような感じ。この"改めて"言ってる感がいい。ここで改めて曲が始まってる。
歌詞を見ると、火だけでなく旅や星といったモチーフもテーマになっているのがわかる。夜でも歩きつづけるためには火が不可欠だが、松明の火はいつでも予期せぬ理由で消えてしまう不安をはらんでいる。そんな儚いものだけれど決して絶やさぬよう意思を保ち続けよう、という鼓舞の歌であるが、光で照らされた景色に目を奪われるのではなく、あくまでこの曲の主体は火であるという安定感。ここに改めて「」を置ける人頼もしすぎる。やっぱりSEIKINはすごい。
読み返していて思ったが、この部分も1番では「こころない」と5音あるのに対し「ほのおが」と4音になっているのが関係あるのかもしれない。今後このブログでは暫定的にのびのび効果と呼ばせていただく。のびのび効果について何かご存知の有識者の方がいましたらご一報ください。

それでは次回の萌え音発表会でまたお会いしましょう!

230124 足がノスタルジー

最近、お風呂から上がったあとの足の裏を乾いたタオルで丁寧にしっかり拭くとなんか安心することに気づいた。気持ちいいというか、小さいころを思い出すというか……その感覚がクセになって毎日何枚もタオルを用意しては楽しんでいる。お風呂上がりに足を拭くのが楽しみの人生って何? しかしまあ、そもそもお風呂上がりにしっかり水分を拭き取るというのは基本だろう。ちゃんと拭かないと乾燥するし。今までその基本ってやつを歩きながらポロポロ落としてきたような人生を送ってきたのが矜子って奴なんだ。生活の他のルーティン同様体を拭くという行為もかなりおざなりなおざりにしてきたので、ふと知った状態の快感に必要以上に大袈裟に反応しているわけだ。当たり前だが、濡れても乾燥してもいないニュートラル状態が一番快適だ。汗っかきゆえに、嫌な湿り気を帯びている状態に知らず知らずのうちに慣れてしまい、ニュートラル状態を忘れていたのだろう。

あんま関係ないけど、サスペンスとかアクション映画で、登場人物が血や泥や雨に濡れていない時間の方が短い映画ありますよね。雨でずぶ濡れになるシーンとか、めちゃめちゃ不快なはずなのにちゃんと演じててすごいなあとか、そんなことばっかり気になってしまう。それだけ。

しかしタオルの感触に感じる安心感は、濡れている不快感を取り除いたことだけに起因しているわけではない気がする。なんか、すごく小さいころって周りの環境を全部人が作ってくれるじゃないですか。人の敷いた布団に飛び込む解放感、許されているという感じ、わかりますかね。思えば、大人になるにつれて足の裏で何かを感じるという経験は少なくなっていった。改めてその部位に意識を集中しながら拭くことで、足がノスタルジーを感じてるのかもしれない。足の裏には神経が集まってるってこの前の地元最高!でも言ってたし。

230122 「腹がくちくなる」って何?

ガストに行った。すかいらーくグループ大好き。感動ハンバーグとやらを食べたかったのだがよく確認せず行ったので普通に終了していた。大好きならちゃんとチェックしろ。デミグラスソースの口になっていたのでオムライスを頼んだ。美味しかった。写真撮ったと思ったのに残ってなかった。pix(去年ブライアン・イーノ展で無音アプリが必要になりあわてて入れた写真アプリ)だとこのパターンよくあって悲しい。

前回といい、急に食い物の話をするようになったのは、最近読んだめちゃくちゃ面白い小説の食事の描写がすごかったからだ。実在の事件を題材にした作品で、面白いなんて書いていいのかなと一瞬思ったけど俺が面白いと思ったのは揺るぎない事実なのでこう書いた。現代社会に生きる人のそれぞれ違った常識、価値観、生き方が、食事という最も普遍的なモチーフを通じて何層にも重なりあっていって、すごく計算された料理みたいな作品だった。主人公がいろんな人といろんな場所で食事をし、働きづめでまったく食生活にこだわりがなかった彼女が新しい料理に出会うたびにそれをどう受け止めてどう変わっていくのかという姿がこの作品を貫く一つの芯になっており、俺も食いてぇ……変わりてぇ……と思った。この小説読んでバター食べたくならない奴いるの? カジマナは強固すぎる価値観を持った偏った人物だが、「好きな時に好きなものを食べることで感覚が研ぎ澄まされていく」という考え方は正直一理あると思ってしまった。なんか、好きじゃない時に好きじゃないものを食べるのって意味なさすぎる。短い人生、意味のない経験ばかり重ねても仕方ないので、俺も好きなときに好きなものを食べよう!と思ったのだが、好きなものは好きなときに食べれないことも多い。今日はたまたま「デミグラスソースの口」に合うメニューがあったけど、こういうパターンは稀だ。自分が何を食べたいのかすぐ分かるときもあるけど、仕事終わりとかでエネルギーが不足しているとその解像度はどんどん低くなり、人が作った適当な診断チャートのように、必ずなんか油っこくて動物性のやつ(あぶどぶ)に収束してしまう。とにかく腹をくちくしたいという思いが先に立ってしまうという領域からいっこう抜け出すことができず、コンビニの前で背中を丸めてファミチキを食っている。こういうことなの!?違うんじゃねえかなあ!?てか腹がくちくなるって何!?「くちく」とかいう鋭利な語感は、栄養、食事、料理、味覚、満腹、満足、団欒、そういったあらゆるイメージと合致しなさすぎてずっと違和感を感じている。

230120 水ぎった俺

食い物の写真を撮るのが下手で映えないので小さくした。

注文してお金を払うまでのほんの少しの間にレジの前にあるスタバカードのサンプルを見ていたら、ご興味ありますか?と言われて、咄嗟にないとも言えず説明をされるがままになりながら、後ろにも人並んでるし昼休みも有限だし〜〜〜と思ってHPをジワジワ削られる時間があった。しかし、「まいにち派もときどき派も」というキャッチコピーは、そんなに頻繁に利用しないですし……という逃げ口上を常に用意している俺のような人間にズバッと刺さる良いキラーフレーズだと思う。俺みたいな奴も客として認めてくれるんだ、みたいな謎の感動があるというか。まあじっくり読んで考えたらやっぱいいやとなってしまったんだが。

スタバのフードってどれも包まれてて外食感ないなと思ってたけど、あっためてもらうだけでかなり違うんだな。パンがサクサクもちもちしてて美味しかった。たまにはこういうランチもいいな~と思いながら食べてたらてりやきソースが服について、やっぱり慣れないことをしても仕方ないのかと一気に虚しくなった。ティッシュに水をつけて拭きまくったら一応シミにはならなかったけど、淡い色の服だったのもあり一時的にでも服が濡れた状態になったのが嫌だった。服が濡れた状態って、感触の不快さよりむしろ、自分がすごくまともじゃない存在になったような感じが嫌だ。見た目のまともさ、もしくは清潔感といった第一印象って、色とか小物とかの加点要素よりこういう減点要素の方が大きく響く減点方式なのではないかと思っている。髪がボサボサとか、メガネに指紋ついてるとか。「服が濡れてる」はその最たる例で、特にデスクワーカーの場合、雨でもない限り普通そうならない分"ストーリー"を見出されてしまいそうなのが嫌だ。液体の飛び散る映像や音というのはなにか取り返しのつかないことを予感させ危惧させる。そこまで考えるのは俺だけか?

職場は暖房が効いており空気が乾燥していたので服もすぐに乾いたが、俺は常に服が濡れてる人間ではないんだ、今日たまたまなんだ、俺を見捨てないでくれ、という祈りはたぶん誰にも届いていない。今日のような見えやすい減点要素だけでなく、俺を「まともで清潔感のある人」から遠ざける、自分では確認できず努力で改善することもできない無数の脂ぎった指紋が周りから見た俺にはきっとついているんだろうという強迫観念のようなものがずっとある。

230118 文学フリマ京都7で買った本

やめられません勝つまでは
パチンコは、当日お手伝いしたサークルのヌシでもある作者に連れて行ってもらって1度だけ打ったことがある。確か化物語のやつだったと思う。アニメを見ているのともPVを見ているのとも違う不思議な感じだったし、自分がパチンコをプレイしているといえるのかどうかもよく分からなくて、それはそれで面白い時間だった。この作品は当然その先の、ちゃんとパチンコをプレイしている人のエッセイ集だ。役物という、やらない人からしたらそんな名前があることさえ知らないパーツ一つにも、歴史とそこに付随する多くの感情があるんだと知れて面白かった。なので勝った負けたの本も出してな。よろしく。(私信)

ウィアードコア私論
世界の切れ目に生じる奇妙さについて
カタログで見つけてずっと気になっていた。ウィアードコアという概念についてほとんど知らないし、ここ数年ポコポコと現れているヴェイパーウェイヴやリミナルスペースといったジャンルとの関係性もよくわかっていないのだが、非常に興味深く楽しめた。本自体のデザインも無駄がなくすきっとしていてかっこいい。記憶を直接刺激する要素があるわけではなくとも、曖昧な集団的意識が同時代を生きた一人一人の中で再構築されることで帰属意識となり、ウィアードコアを一つのジャンルたらしめているという記述を読み、そんなこと考えたこともなかったのではっとした。俺がアンビエントとかこういうモワモワしたノスタルジーを感じさせるジャンルに惹かれるのも、幼い頃から承認に飢え、「共有」に乏しい子供時代を送ってきたことの裏返しなのだろうか。

文章でめし食って9年
仕事で「書く」と趣味で「書く」のはざまで
文章を書く仕事って実際どうなの? とずっと気になっていたので、たまたまお見かけして迷わず買った2冊。読んでいくと、ライターとして生計を立てるまでに波乱万丈の人生を送ってきた方ということがわかり、小さい頃に読んだ「13歳のハローワーク」の「作家」の項に書いてあった、作家ははじめから目指してなるものではなく色々な経験をしてから最終的にたどり着く職業である、といった内容の文章を思い出した。ずいぶん古いあいまいな記憶だし、作家とライターはあくまで別物であるということもこの2冊のZINEを読んで分かったつもりにはなったけど、やっぱりなんか、選ばれる人とそうでない人の差は最終的に経験というところに出てくるよな、と思った。嬉しい経験だけでなくシビアなことも飾り気のない文章で綴られていて心地よいほどだった。小説をふたたび書き初めてからのライター業に対する考え方の変化のところなど、参考にするというよりは純粋にドキュメンタリーとして楽しんで読んだ。買ってよかったです。

東京一人酒日記
東京一人酒日記2
お隣のサークルの本が酒を題材にしたものだったので、これも迷わず購入した。
バーや居酒屋なんかで、店員とか他の知らない客と自然に会話ができる人というのはすごく遠い存在に感じていたし、そういう人がお店で飲む酒と俺が部屋で一人で飲んでる酒は同じ酒というカテゴリではあっても全く別物であると思っていた。しかし、当然ながらそういう光の中にいる人たちにも葛藤や日常のささいな引っ掛かりはあるんだということが文フリで買った本を読んでるとよく分かって恥ずかしくなる。このシリーズは一人酒がテーマではあるけれど常に人の気配がある。「一人になりたい」と「人とつながりたい」は表裏一体であるとこの本の1の方でも書いてあり、それは希望であると同時に危機でもあるなあ。人と言葉を交わし、つながるということはとてもむずかしい。瞬発力が求められるリアルの会話と違い、時間をかけて思考の細かな部分まですくい上げることができる文章に、だから救われた気になるんだろう。俺はリアルでは今のところ誰ともうまく話せないし相手にもされてないけど、コミュニケーション手段が文章しかない世界だったらもうちょっとうまくやれてたんじゃないかと思う。書いてて泣けてきた。酔ってるからかな。

環境と対話 vol.2
環境問題についての対話を通じて生まれた作品集。収録されたエッセイの「回復を越えて:躍動する生命に至る思考」には特に興味を惹かれた。タイトル通り、回復ということについて、自身の経験を辿りながら綴られていく作品で、まるでロードムービーのようだと初読時は感じたのだがいかんせんアカデミックな文章に慣れていないので難しいところも多く、何度も読み返している。この本全体を通じて、地球環境と、単に身の回りの状況という意味の環境という言葉ははっきり分かたれるものではないと、月並みな感想だがそう感じた。

 

230115 世の中いろいろやな

文学フリマ京都7だった。参加された皆様お疲れ様でした。今回は売り子での参加だったからか無責任に楽しかった。完売の瞬間にも立ち会うことができて感無量だ。
俺は横でヘラヘラしてただけでほぼ何もしていないのだが、多くの人生や表現が交わる場所でエネルギーを感じ続けていたことへの心地よい疲れがある。それでいて妙に体を動かしたい気持ちにもなっている。そういうのありません? イベント後のウオー感。なぜか今全力で懸垂をしたくてたまらない。帰りの河原町ゆきのバスが信じがたいほど混んでいて、天井にあるあのオレンジ色のパイプを掴んでないととても立っていられない状況だったから、眠っていた腕の筋肉が目覚めてしまったのかもしれない。そんなこんなも含めて充実したいい一日だった。私の部屋にはちょうど懸垂をできる場所がなく残念だ。今クローゼットの上段に手をかけて体重をかけてみたら、キ゛ッ……という木材の悲鳴のような音がわずかに聞こえてすぐやめた。
いろいろ戦利品もあり早く自慢したいのだが、酒飲んで肉食って今日はもう受付終了な感じになってしまっているので、また次の日記で。

サークル主と話しているうちに、9月の大阪は一緒に出ようという話になり、根がお調子者にできてる俺は早くもその気になっている。これから書き始めて9月には本にできそうな、めっちゃ……いや、かなり……まあまあ……そこそこ……多少は面白そうな企画を思いついたので、これから8ヶ月は生きる意味を見失わずに過ごすことができる。面白いことを思いつくと、それで頭がいっぱいになって目の前のやるべきことに一切リソースを割くことができなくなるのが俺の悪いところの一つだが大丈夫だろうか。9月の俺見てるー?「230910 世の中いろいろやな2」←無事完成して参加できたらここにリンクが貼られます。乞うご期待。