中性色の服ばかり着ている

タイプミスしたら即終了

221108 『話の終わり』

本を読んだ感想とかアウトプットする習慣なかったんだけど、これは!と思ったので感じたことを書く。それは違うだろってこと書いてたら教えてください。

話の終わり | リディア・デイヴィス, 岸本 佐知子 |本 | 通販 | Amazon

はじめて行った図書館で、特に何を借りるとも決めずにぐるぐるしてたら背表紙のタイトルと目が合って、すごくシンプルなタイトルだ、と思い、そのまま手に取った。
何を描いた小説なのか、フィクションなのかノンフィクションなのかも分からないまま読みはじめたけど、すぐにその文体に夢中になった。文のスタイルを表す形容詞って、割とどうとでも言えるじゃんというか、人による感じ方が違いすぎるのでいろんな本や解説で文体についての説明を見てもあまりピンと来ずにきていたが、この作品の文章を私はすごくなめらかだと感じた。情景描写が細かく、「私」が何を感じてどう行動したのかも全編にわたって仔細に描かれているんだけど、その全てが必要な要素として流れるように重なっていく。かつて「私」が一緒に過ごした年下の恋人との時間と、それを「私」が小説にしていく時間の二重構造(小難しいレビューや解説によく出てくる単語だ、うわー、許してくれ)なんだけど、この構造がこの小説のあるべき姿なんだと思わせる、すごく難しい造形だけど絶妙なバランスを保って自立している彫刻みたいな作品だと思った。なんかすごいことが一つ起こる物語ではなくて、小説を書く彼女の目を通じて、ささいな断片を集めながら彼を追っていた俺も導かれるように話の終わりに「戻る」……あー思い出しながら書いててもマジで良いな。もう一回読もう。
これからも何度も擦るかもしれないんだけど、「リアルの人生経験や人間関係が充実している人が書いた作品は登場人物が少なくてもそこに社会の広がりが感じられる、逆もまた然り」という昔同人板で見た書き込みがずっと記憶に残っている。系統立った理論ではなくどこの誰ともしれない匿名の経験則をあてはめて何か言うのはもしかしたらすごく失礼なのかもしれないけど、俺が思ったのはこの理論のさらに先をこの作品は行っているということだ。この作品には彼だけでなく、同居人や他の友達や結婚相手といったたくさんの人物が現れて過去や現在の彼女に関わっていく。彼女は人に必要とされ、確かに社会の中で生きている人間で、だからこそ一人になって自分に向き合ったとき彼女が感じる孤独の描写が際立って見える。鏡に映る自分の顔の見え方や記憶の中の彼と過ごした時間がどのように変容していくのかが本当にありのまま生きた言葉で書かれている。彼に別れを告げられてからの方が長くて、それもなんかちょくちょく会ったり話したりずっとしてて、はっきりせえやと思う反面、でも実際そうなったらそんな感じなんだろうなと、文化の全然違う俺にもその感情の動きや肌感覚が分かるくらいライブ感がある(俗っぽいけどこの言葉が俺には一番しっくり来る)。ずっと内省的なので、孤独についていろんな角度から書いた作品にも思える。
一連の出来事を描いた小説の主人公の名前がどれもしっくり来なくて何度も変えるというところを読んで、自分はこの小説を好きになれると確信した。おこがましいけどシンパシーというか、当たり前だけどみんなそういう選択を積み重ねてるんだよなという感じ。記憶とは矛盾していたり時間経過によって変わっていったりするものであることがこの作品では繰り返し書かれていて、それもなんか安心感があった。本を読んでるとよく「やっぱりそう思うんだ」「それって書いてもいいんだ」という感動をすることがある。本を通じて全く違う世界を知ることができるけど、逆に自分と同じことを考えている人がいたり、自分でも全く意識していなかったような点で共通項を持つ人が世界のどこかにいるということを発見できるという側面が抜け落ちていると読書体験がある程度で止まってしまうんじゃないか。今更すぎるけどそんなことに気づいた。
物語後編では寝付きについての微妙な感覚が描かれていたりして、眠りと夢は俺にとって重要なテーマなので、そこを丁寧に書いてくれる作品は無条件で高評価してるのかもしれんとも思った。

皆既月食のことなんてすっかり忘れてボケッと作業してたら、上司が「ちょっと来て来て」と言ってちょうど月の見える部屋を教えてくれた。月食を見れたことより、自分の人生にもこういうささいな出来事がまだ起こるんだ、ということが嬉しかった。肝心の月は目が悪いのでよく見えなかった。