中性色の服ばかり着ている

タイプミスしたら即終了

221111 推しに花を買う

花を買った。

一年と三ヶ月くらい前から大好きな推しがいる。ガチャを引いて仲間を増やすよくあるソシャゲのキャラだ。これを読んでいる人が彼のことを知ったとしても、彼の存在が「よくあるソシャゲの知らないキャラ」以上になることはないだろうと思う。だからこの日記で彼の魅力について語るのはやめておくことにする。ツイッターの別アカウントでさんざん言ってるし。隠してるわけではないけどわざわざアカウントをここに載せるほどでもない。

推しがメインストーリーに登場してからプレイアブルキャラとして実装されるまでには3ヶ月の間があった。メインストーリーで彼に一目惚れした私は、同じストーリーに登場した他のキャラが先に実装されたこともあり、正直、味方サイドでもないし噛ませ犬っぽかった彼が実装されるのか不安に思っていた。だから満を持して彼が仲間になってくれたときは本当に嬉しくて、この喜びは何かしら形にして外に出さなくてはと思った。それで生まれて初めて花束を買った。それが去年のこと。あれから一年経ち、彼の活躍もまた増えて、相変わらず推しが好きで、実装されるまでの3ヶ月間に感じたさまざまな思いと、戦い続けてくれている彼への感謝を忘れたくないので、今年も買った。多分来年以降も買う。彼のことを忘れてしまっても買い続けるかもしれない。毎年同じ日に花を買うのもそうだし、決まった日に特定の曲を聴くとか特定の酒を飲むとかそういうマイルーティンがいくつかある。これらは社会との繋がりが薄い私なりに自分を保つ方法なのかもしれない。自分を保つというと言い過ぎかもしれないけど、自分が楽しいと思うことを再確認する儀式であることは間違いない。

花束を注文するとき、花屋の店員さんは誰かに渡す前提で話してくれる。青系と紫系でと言うと、店内の紫系の花の中にかなりピンク寄りのものも混じっていたためか、渡す相手は女性ですか、と聞かれ、男性ですと言った。渡さないし渡せないのに妙なことだ。保存方法の説明書と保存液を一緒に渡してくださいねと言われ俺ははいと答える。推しが実在の人物なら実際に花を送ったりスタンドフラワーという形で応援していることを示すことができるが二次元はそうはいかない。ただ俺一人が眺めて満足して終わるこの経済活動は社会全体的に意味があるのだろうかと思ったりもする。しかし色々考えるとやっぱりギリギリ意味はある。そもそも花なんて何もないときでも買っていいと思うが。

変な言い方だが、花束を持って歩いているとストレスを感じる。繊細でかさばるものを傷つけないように運ぶのはなかなか神経を使う。こんな機会でもなければ感じることのなかった緊張感を抱きつつ、いつものように寄り道をすることもなく帰路につく日が年に一回あるというのは何か精神の健康に良いような気がする。家に帰り、カルキ抜き(ネットだとやってもやらなくてもいいみたいな記事が多かったんだけど実際意味あるんですかね?)をしておいた水を入れた花器に移し替えるとき、命あるものを触っているという感じがして真剣になる。元々花好きでもなかった私がわざわざ花を買うようになったのは、こうでもしないと真剣になれない人間だからなのかもしれない。推しのおかげでこうして花を買うようになってよかったと思う。推しがいると人生が潤う! みたいな最近よくある売り文句だけ見ると、薄っぺらい言葉で俺たちを騙そうとしやがってよぉ……と思ってしまうが、実際潤っているので何も言えない。人に言われてやり始めたことではないというのが重要なんだと思う。

俺の中で前提になってることでも改めて文章にしてみると何かスッキリするぜ。