ユニバーサルバトルアックス

集団的個人サークル「ユニバーサルバトルアックス」の創作や日常について

241001 羞恥心(楽曲)について思ってること一覧

・2回目のドンマイドンマイのハモりの音が下がるのが好きすぎて何回も聞いてしまう

・Aメロのリズム地味にキープするの難しくない!?

・この曲がポップンに入ったとき、EX譜面が「意外と難しい」と評されているのに良さを感じていた(音ゲーに収録するために作られていない版権曲が意外と難しいと、二度美味しい感じがする)

ニコニコ動画でこの曲の忙しい人向けバージョン(要は面白おかしく切り刻んで短くしたMAD)を見たことがある。「就寝」「マイマイ」とか言ってるだけのくだらないものだったけど自分はけっこう笑った記憶があって、そもそもよく知る曲が切り刻まれてることに対する本能的な面白さみたいなのがあって歌詞が通ってるかどうかは二の次なのかもしれない

・「羞恥心」というワードには、おバカキャラを象徴するおもしろワードのみならず、どこか日本人の心に訴えかける本質的な意味がある気がしてならない。何を恥じ何を誇るか、そこには根本的な価値観が反映される。この曲の主人公は、自分が「知識ない」ことを認めつつも、それを恥じるのではなくありのままの自分の一部としてさらけ出すことを選んでいる。「ドンマイ」「パワー」「人生」といった回りくどくなさすぎる言葉画選びからもそれが見て取れる。ではサビで繰り返される「羞恥心」とは一体何に対しての羞恥心なのだろうか? それは、「愛した人を泣かせる」こと、「俺の胸にさあおいで」と胸を張って言えない自分であること、ではないだろうか。頼りがいのなさは恥ずべきことであり、たとえ失敗ばかりでも堂々と自分らしくいることを誇る、そういう価値観だ。愛する人に俺についてこいというメッセージを伝えると同時に、頼れる自分でいられるよう自分を鼓舞する、そんなイメージを私はこの曲から感じ取った。「羞恥心」というワードはクイズ番組内での読み間違えが発端になってアーティスト名及びタイトルになったものではあるけれども、このチョイスこそがこの曲を無二の名曲たらしめていると思う。多くのアーティストが愛情や喜び、悲しみ、切なさ、怒りといったさまざまな感情を詞に乗せて歌ってきた。しかし、個人の肌感覚でいえば「羞恥心」「恥ずかしさ」というものを明確にフォーカスしてるものはあまりない気がする。トートロジーだが、「恥ずかしい」という言葉は恥ずかしいからだ。愛情や切なさは美しく、画になる。しかし恥ずかしさというのはそれ自体がどうも収まりが悪く、扱いづらい感情のひとつだ。一方で万人に存在する、避けることのできない感情でもある。その感情から逃げず、向き合うことで一人の男としてのあり方を提示してみせたこの楽曲が誤答から生まれたというのは何かすごいことだと思う。