中性色の服ばかり着ている

タイプミスしたら即終了

230210 たまには笑う

今日は珍しく、友人に連れられてお笑いのライブビューイングに行った。

そもそもお笑いのライブを見ること自体が初だ。興味がないわけじゃないんだけどなんか気がついたら自然とお笑いに縁がない人生になっていた。普段テレビも全く見ないし知識もないので楽しめるか不安、とか思っていたが蓋を開けてみると思ったよりちゃんと笑っていた。やっぱり、どんなものでもリアルタイムで見ることに意味があると思った。お笑いやってる人ってすげー。事前に練習したネタをやって笑いをとる仕事だというイメージが漠然とあったが全然違う。記憶した流れを再生するというだけではない色んな複雑な筋肉が動いていた。ベテランの人ほど目に見えて空気を乗りこなしていた。特に最後の爆笑問題がすごくて、途中変なところで引っかかってどんどん脱線していってたんだけど、その流れが本当に面白くて、お笑い免疫のない私はこれどこまでがネタなんだろうとずっと不思議に思いながら笑っていた。人がウケながら話してるのを見るとつられてウケてしまう性質なのもあるだろうが。お互いと客のいる空気全体を信頼してリラックスして話してるんだなというのが分かって、でもその力の抜き方は相当場数をこなして鍛えた筋肉でしかできない抜き方なんだろうなと思った。お笑いを見たというよりプロの仕事を見れたことに対して良かったなーと思ってる。

内容が良かったからこそ瑕疵もより目につく。いんの!!!スマホ触り人が!!!両サイドに!!!暗転中ですら堂々と光らせてて、あれ何!?!? お笑いってそうなの?と思って友人に聞いたけどそうじゃないって。そうだよな。映画館初めてか? 普段映画館でそんな奴に遭遇しないからビックリした。俺が迷惑してるのももちろんそうなのだが、金払ってるのにわざわざ損する選択をしているのが不思議で仕方ない。出された料理残してるのと一緒じゃん。本当に不可解だったのが、嫌いな料理を残してるのかと思ったらそういうわけでもなく、チラチラ顔を上げてスクリーンを確認したりスマホを見ながら聴覚だけで笑ってるのだ。見るならちゃんと全覚で見ろ。そんな奴の動向をウォッチしてしまう俺もまたその瞬間損してるし。誰も幸せになんね〜。
俺は根が吝嗇(ケチって言えや)にできてるので、こういう制限時間がある系の買い物は可食部は余さず食わないと気が済まない。損した気分になるのが嫌で映画のエンドロールも興味ないのに最後まで見てしまう。その分家でアマプラ見てるときは集中できなさすぎて途中で寝たりしてしまうのだが。

そんな奴らに文句も言いつつ映画館を出て、まったり飲もうという時間でもないのでラーメン屋に入って、言葉少なになりながら並んで豚骨ラーメンを食って、こういうちゃんとした大人の青春みたいな一日を過ごしたことってあんまないなと思った。こうしてまともな大人には当たり前と思われる経験をまた一つ得た。Tips②:人と食べる夜のラーメンは美味い。

221213 名古屋行ってきた

この前何の脈絡もなく名古屋に行ったときのことを書こうと思ってずっと先延ばしにしていた。こうなってくるともう日記タイトルにいちいち書いているyymmddの意味もあったものではないが、俺は手帳とかをきっちりつけられる人間よりもずっと曖昧な時間の流れの中に生きているのだ。

到着してまず感じたのは、なんか全体的に音量が大きいということだ。駅はとても賑わっていて、人の間を抜けて進むのに苦労した。
13時頃名古屋駅に到着し、早速名古屋城に向かう。一度乗り換えはあるものの非常にアクセスがいい。市役所の近く、都市の真ん中にいきなり時代を感じさせる空間が出現してくるのが不思議に感じられる。考えてみれば大阪城だって全然そうなのだが、知らない街だとよりそう感じるのかもしれない。

天守閣には入ることができなかった。下から見上げて、鳥多すぎるなという感動を存分に味わった。本丸御殿は入ることができた。どこもかしこもピカピカで落ち着かなかった。木のいい匂いが絶えずしていて、結局のところそれが一番印象に残っている。歴史関係のことは一切詳しくなく、大河ドラマも見ないのだが、由緒正しい建物の持つ、ここで色々な言葉が交わされて歴史が作られてきたんだなという独特の緊張感を肌で感じることができた。靴を脱いで上がったときの冷たい感触とか声の響きかたとか、小さい頃に入った公民館みたいだと思った。敷地内のみやげ屋に入り、ちいかわの限定絵柄の靴下があって迷ったが結局買わなかった。

それから一旦名古屋駅に戻りホテルにチェックインした。いい歳こいて自分でホテルを取るのははじめてでドキドキしたが一切トラブルはなかった。俺が勝手にビビってるだけで、世の中のだいたいのことは係員か画面の指示に従っていれば何とかなるものだ。
フロントで、旅行支援の何かのキャンペーンで対象のお店で使える3000円分のクーポンを渡されて、事前にちゃんと説明を見てなかった俺はえらくびっくりした。旅行代金安くなってるのにまだこんなのもらっていいんですか!?!? 今回はたまたま説明を見てなかったことでサプライズの喜びがあったが、説明を読まずに生きてきたことで多分今までこれ以上に損してきてるんだろうなと思って反省した。
荷物を置いて数分アーとしたあと、熱田神宮に向かった。事前に見たホームページには、社務所の空いてる時間が「日没くらいまで」とふんわりとしか書いていなかったので、まあお守りの一つくらい買えるだろと思って余裕こいて行った(上にちゃんと地図見てたら絶対迷わないめちゃくちゃわかりやすい入り口を見逃して10分くらい全然違う道を歩いてた)ら、神宮前駅に着く頃には真っ暗になっていたし普通にバリッゴリに閉店していた。一方で、お参りをする人は多いとはいえないものの途切れることなく出入りしていて、買い物途中や仕事帰りっぽい地元と思しき人がほとんどだったのが印象的だった。俺みたいなマヌケを除いて普通の観光客は日のあるうちに来るだろうから当たり前っちゃ当たり前なのだが。思えば今まで住んでたどの場所も2駅以内の範囲には神社仏閣は一個はあったし、初詣に行くのがなんとなく当たり前になっている。信心を持たない俺の生活には直接関わり合うことはないように思えても、やっぱり人が住む街には必要な施設なんだなと思った。自分も手水とお参りをして、境内を散策した。脇道とか色々入りながら歩いてたら、闇の中に現れたトイレを見て根津神社のトイレを思い出して、夜に神社のトイレを見るという経験が他にそれしかないから思い出したというだけなんだろうけど、根津神社の近くに住んでたときも夜中にアーってなってよく一人で境内をぶらぶらしてたなと思い出した。夜の神社はなんか落ち着くから好きだ。少しだけ街の喧騒と離れることができて、でも人の気配がまったくないわけではなく、犬の散歩してる人がいたり、御神木にずーっと祈ってる人がいたり、そういう静かなすれ違いに満ちてるのがいい。おまけに入場料はタダだ。
暗かったのでまともに撮れてる写真が御神木しかない。

夜は名古屋めしが食べられる居酒屋に行き、例のクーポンを使った。なるべくピッタリになるように頼んだつもりだったけどいざ会計してみると普通に1kくらい足出てて笑った。だからちゃんと値段も読めっつってんの。

2日目はトヨタ産業技術記念館に行ったのだがこれがめちゃくちゃすごかった。
とにかく見るものが多いし、機械を実際に動かして見せてくれるスタッフさんもたくさんいた。俺は見ての通りのコミュ障なので自分から動かして動かして!と言いには行かなかったが、集団客の後ろからコソッと見てるだけで面白かった。繊維機械館の最初の方の、紡績の歴史についてのセクションで、綿や毛といった繊維の原料が四角いショーケースにミチミチに詰められて説明とともに展示されているところがあって、うまく違いを言葉にすることはできないのにこれは綿でこれはポリエステルでと視覚情報だけで分かるのが不思議だった。人生において柔らかくてフワフワなものをたくさん見る機会は少しでも多い方がいい。

実際に使われていた機械が所狭しと並んでいる迫力を間近で感じられただけでも行った価値があったと思っている。繊維機械館の最後の方、見学者が来るたびにシャシャシャシャシャ!!!という轟音とともにカラフルなタオルを織っていた機械があって、そこで織られたタオルはちゃんとミュージアムショップで売られたり館内の消毒用アルコールの下に置かれたりしてて、そうでなくてはなと思った。
鞄をロッカーに預け忘れていたため繊維機械館の中程に行くころには肩が終わっていた。なので撮影可の施設にも関わらずこの一枚以外全く写真を撮っていない、もったいないがこれはこれで俺の思い出として大事にしておくことにする。

繊維機械館だけでもうゲップ出るくらいおなかいっぱいなのにまだ半分だ。自動車館の2階からあの大きな機械が並んでいる景色を見たときは、これ全部じっくり見てたら帰りの新幹線に間に合わないんじゃないかと思ってガチで絶望しかけたほどだ。国内で車を作るために最適な素材を探すところから始まり、カーステレオやシートベルトに至るまで、どのようなこだわりでクルマが作られて変化してきたかが丁寧に解説されていて、クルマのことが全く分からない俺でも飽きなかった。展示全体を通して機械が目玉ではあるんだろうけど、だからこそ、それを作る人たちの思いや息遣いが感じられるような工夫がところどころにあったのがよかった。博物館でたまにある、当時の人のサンプルみたいな一色で塗られた等身大の人形みたいなやつがここにもあって、そんなの置かれなくても何に使うかぐらい分かるわと今までは思っていたが、やっぱりあれは必要なものなのかもしれんと考え直した。

その後ノリタケミュージアムに行った。

急に名古屋行きを思い立って調べるまで知らなかった施設なんだけど、かなり面白かった。1・2Fのクラフトセンターは実際に職人さん達が陶器を制作してるのをガラス越しに見れる工房で、妙にはしゃいでる子供が多くて、一切気にせず作業に集中している職人さんすごいなあと思った。毎日やってると嫌でも慣れるんだろうか。
んで3・4Fのミュージアムだ。普段お目にかかれないようなゴージャスな食器がたくさん展示されていて、俺まで金持ちになったような非日常感が楽しかった。壁一面に同じサイズでさまざまな模様のお皿が展示されているところが特によかった。同じサイズの中でそれぞれ違った工夫を凝らした作品がズラッと並んでいるのを見るのは、でかい絵を1枚見るのとはまた違った快感があると思った。だからそれを撮っとけよって話なんですけどね。すいませんね。

企画展で、これって何に使うの?っていう食器だけを集めた展示をやっていたのも面白かった。確かに美術館とか博物館で昔の文化についての展示を見てると、何その用途? みたいな装飾品よくある。今の感覚だと絶対そんな頻繁に使わんやろ……というものでも、それゆえに純粋な芸術品としての存在感とか不思議な愛らしさがある。

クラッカーボウル、ボウルという語感からはいまいち想像できない形をしているがとてもいい。これにココナッツサブレを乗せて仕事中にずっとつまんでいられたらかなり楽しい人生だと思う。

近くにあるショップのノリタケスクエアも見に行った。これまたキラキラツヤツヤで、なんか陶器でできた兜とかあって見ているだけで楽しかった。それにしても360度全方位に割れ物がある場所ってリュックで徘徊するの怖いですね。
これがめっちゃかわいくて相当悩んだのだが、実用性があるわけではないものに3kかぁ~~~と思って結局見送った。代わりに、スープを飲む用のカップをずっと探していて、色もちょうど好みのものがあったのでこっちを買った。

ほどよい厚みで、手触りが気持ちいい。クリアファイルももらった。いいでしょ。今も書きながらスープを飲むでもなく惚れ惚れと眺めている。いい買い物したな。旅行したからといって現地でしか得られない経験や限定品を血眼になって探すより、こういう身の丈に合ったものを地道に発見していく方があるいは良いのかもしれない。
あんかけスパ食べて、おみやげも買って、時間が余ったのでイオンとか行ってた。なんかローカル食品っぽい飲むヨーグルトがあったので買った。地元と違うことといったらその程度であとはチェーンのスーパーの中というのはどこに行ってもあまり変わらないので、安心とまあそうやんな……が同時に来て妙な気持ちになった。全体を通してだが、良くも悪くも平和な旅だったなと思う。電車に乗ってダラダラ歩いて……。次はもっとガラッと環境が変わる場所に行きたいな。

んで新幹線乗って、帰りも来た時と同じように新神戸から神戸までの地下鉄代をケチって歩くわけだが、マップを見てえっちらおっちら歩きつつ、この街のことも全然知らないんだよな、と思う。俺は、旅行は自分にとって「見たことのないもの」を減らすためにするものという意識があって、でもそれ言い出すとこの県だけで一生かかるぞとも思う。
ともあれ東名阪は制覇したので次は札仙広福だ。一人旅の感覚はなんとなく分かったのでもっと遠くへも行ってみたい。もっと自由になりたい。そのためにまた金を稼ぐのだ。

221106 『もうひとつの顔』/『三つの百景』

神戸ファッション美術館にはじめて行ってきた。
神戸エリアではあるんだけど結構乗り替えがあって大変だった。でも楽しかったし行ってよかった。

神戸ファッション美術館
ロバート・キャパ セレクト展 もうひとつの顔

「キャパの十字架」を読んでなんとなく知った気になっていたけど、実際に「崩れ落ちる兵士」を見ると、思ったより小さいな、と思い、それが入ってすぐにあるので人の流れの中でじっと見てもいられず、銃から離れつつある指先の感じだけを記憶した。
活き活きとしたたくさんの顔を見た。特に面白いと思ったのはツール・ド・フランスを写したもので、道路沿いの観衆が全員左を向いている写真と右を向いている写真があって、自転車は1ミリも写ってないのにめちゃくちゃレースの写真だった。

右上のポストカードの写真は展示されていなかったけど、別バージョンの立って歩いている写真が展示されていて、それも気に入った。立ち姿も表情も自然でキュートで、後ろに写っていた関係ない人までもが絵のような景色を構成していた。俺がちゃんと注意してないだけで現実ってけっこう絵なのかもしれないと思った。「戦災孤児を『養子縁組』したアメリカ兵」というタイトルの意味深な括弧が示すように、この写真が撮られるに到るまでに、多くの混乱や犠牲やしなくてもいい遠回りがあったんだと思うんだけど、写ってる全員が純粋に今を楽しんでいる表情に見えて印象的だった。

神戸ゆかりの美術館
三つの百景 川西 英

キャパだけ見て帰るつもりだったが、かわいさに惹かれてこちらも見ることにした。
標題通り、百景を構成する作品たちがズラッと並び、実際の版木も展示されていたりして、存分に版画の世界に浸ることができる。
色遣いとか、曲線と直線の組み合わせでできた雲の形とか、なんとも言えず牧歌的でかわいかった。街の犬や鳥なども表情はないのに不思議な愛らしさがある。↑のポストカードの牛とかめちゃくちゃかわいくないですか?
街並みや人の格好から時代の違いが感じられるけど、たまに「こいつ観光客だな」って佇まいだけでわかる人がいて面白い。美術館の光景を版画にしたら俺もまだそういう雰囲気を出してるかもしれないと思った。

どこに行っても自分がそこに住んでることをアイデンティティにできないというか、有名な観光地に行って知った気になるぞみたいな部分が多くて、結局のところ俺は精神的に地元民であれていないし地元を知らないんじゃないかと思いながら生きてきた気がする。この展覧会で描かれていた街並みや美しい景色だけでなく、そこに息づく人々の営みや楽しみを見て、改めて俺はこれから兵庫県民なんだ、と思ったし、この版画の中の人たちのように、それをいちいち意識するでもなく、ただ地元をよく知り地元で息をする人間になりたいなと感じた。そういえば大阪、東京ときて県民になるのはこれがはじめてだと気づき、どうでもいいけど良いことだなと思った。
美術館の外に出ると、駅前や六甲ライナーの車内に英語で喋ってる子供が多くて驚いた。雑然とした三ノ宮周辺も楽しいけれど、少し移動すると全然違う世界になるのが面白い。そんなのは日本全国どの街だってそうなんだろうが、そういう当然のことを自分が肌で感じていると感じることもこれからはおろそかにしないでいきたい。