中性色の服ばかり着ている

タイプミスしたら即終了

240222 固定用

最近話した何かの先生に、今目の前の問題に向き合っていくにあたって、「書き出すこと」を習慣にしてみてはどうかと助言をもらった。
ただ先生が言っていたのは思考のスピードを一定に抑えるための「書き出す」工程であって、頭で考えていることに追いつかないようあえて紙にペンで書く、ということを言っているようだった。なので今こうしてペンよりも早く、自分の汚い字よりもはるかに読みやすいデジタルという手段で思っていることを書き残すのは、先生が言っていたこととは若干ずれているようにも思われる。ただ俺はそこのところ抜かりなく、タイピングにもちゃんと問題を抱えている。タイプミスがめちゃくちゃ多いのだ。早く打とうとして焦って結局一文に一回くらい打ち間違えるので、結局慎重に打つより遅くなる。そこで、焦らず間違えず入力することを習慣づけるため、ゆっくりタイピングしてブログを更新してはどうかと考えたのだ。
これからブログを再開するにあたり、これまでと同様、テーマや目標などは特に設けず、目についた些事をつらつらと書き連ねていきたいと思う。ただ一つ、「タイプミスしたらそこで終了」という縛りを設ける。寿司打の一発勝負と同じである。タイプミスせずに1000文字程度書けたらクリアということにする。寿司打の1000円コースと同じである。と書こうと思ったが今確認したら1000円コースはなかった。変換ミスは今のところOKにするが、ヌルいと感じたら今後変えることがあるかもしれない。
ここまでゆっくり打ってみて、適当に打ってたころとは全然違う緊張感を感じる。音ゲーをプレイしている途中で、コンボが一度も切れていないことに気づいてしまったときの緊張感。フルコンボを目指すより、早くミスして楽になりたいと思ってしまうのは俺が小心者である証拠だろう。
最初のルール説明ということでこの記事だけは多目に見ることにしたが、ここまでの800字前後ですでに13回タイプミスをしている。こんな試みが本当に続くのでしょうか。

この前部屋のシーリングライトはずそうとしてドライバーのサイズ間違えて2箇所もナメてしまった。終わりだ。

230414 人に見せられるネタだけまとめてスクショ撮るのに苦労した

今週のお題「メモ」

3月ももう終わるが、なんとまだ手帳をつける習慣が続いている。すげすぎ。今までの俺は絶対そんなことできなかった。寝る前にかろうじて覚えてることを走り書きするだけでも、読み返したときの解像度が全然違う。道を歩いているときにフッと思いつくようなささいなアイデアが一番イノセントであり、それゆえに

ここまで書いたあと3週間気絶していた。
最近個人的に脳汁(と俺が呼んでいる脳内物質)がすごく出る出来事があって、ずっと振り回されていた。脳汁が出ていると脳内の会話が活発になってアイデアもどんどん出てきてメモが追いつかなくなる。それにしてもメモメモって皆さん好きですね。こういう紙モノの話。俺みたいな使いこなせてないサイドの人間でもそれなりに書けるものがあるからこそこうしてお題になっているんだろうけれど。
メモというかふと思いついたアイデアを残しておく場所についてはずっと統一できずにここまで来てしまっている。今のところiPhoneのメモ帳、GoogleスプレッドシートGoogleドキュメント、ツイッターの鍵垢などにもバラバラと書き込んで整理がつかなくなっているが、最も中心的に使っているのはストーリープロッターというアプリだ。

小説を書く人向けのアプリで、最初からネタ帳として作られているのでシンプルで使いやすい。ネタを色分けしたりタグをつけたりもできる。プロットを入力する機能もあるのだがそちらは全然使えてない。いつも思うけどプロットって書くの嫌すぎる。何も書きたくない。ネタ帳を見返して酒飲んで一人でキャッキャしてるのが一番楽しい。それだから成長しないんだと最近気づいた。

今日はインプットの本を読んだ。この種の本はだいたいそうだけど、やっぱり良質なインプットにはアウトプットが欠かせないというのが大前提になっていた。そうですよねー分かってるんすけどねー。よし!アウトプットするぞ!と思った瞬間全部やめたくなる。既にかなり苦しいけどとりあえず記憶に残ってることを2個だけ書いてみる。
・やみくもに情報を入れようとせずアンテナをいくつか張る
・ネタ帳を見返して熱いアイデアが発見されることを孵化という←かっこいい

大昔に大学の売店で衝動買いしたモレスキンをかつては読書記録用にしてて、今見返してみると2020年の5月までは続けていた。結構頑張って長いこと続けたように記憶していたが、パラパラめくってみても全然読んだ記憶ないしピンとこないものばっかりだ。それはやっぱり内容について思ったことを書くでもなくひたすら書名を作者名を書き連ねてるだけだからだろう。読んで"俺が"どう思ったのかまで残さないと何の意味もないもんな。とりあえず今日の手帳にはそういったことを書くだろう。明日も明後日もそうやって騙し騙し手帳を続けていくぜ。

 

 

230324 ふさわしい名前

今日は記念すべき日だ。なんといっても、あのバンドについに名前が付いたのだ。そう、俺の頭の中に10年以上前からいるあのバンドだ。
あれからずっと音楽に向き合い続け、作品を作り、力をつけてきた彼らに比べて、俺はなんと無駄な時間を生きてきたことだろう。何かのプロになりたい、そう思いながら自分で努力はせず他人の成果物が流れていくのを見ているだけだった。このままではいけない。自分の創作物、自分にしかアクセスできない頭の中の出来事くらいは責任を持ち、しっかり理解して管理していると胸を張りたい。自分の部屋くらいちゃんと片付けられるようになりたい。そうして、長らく放置されていた問題のひとつ、「うんたらかんたらズ」なんて(俺に)呼ばれていたバンドの名前を改めて決めることになったのである。

こうやって本腰入れて話し合って考えれば一日で決まるものをなぜ10年も放置していたんだと思うが、決めてしまったらもう変えられないんだと考えると、変な名前になるよりは……と目を背けてしまうのだった。制約がない分、集団の名前は人の名前より難しい。そして人の名前と同じように正解がない。
クラウドソーシングサイトでは会社や店舗や商品のネーミングの募集があって、案件にもよるけど採用されればわりといい額もらえるので、宝くじ気分で毎日応募してたこともあったが一度も採用されなかった。俺と同じことを考えている奴が500人から1000人くらいいるので当然なんだけど、でもギャンブル気分とはいえ依頼内容をよく読み込んで、Google検索でヒットしないのは当然としても、必ず2つか3つ以上の意味を入れ込んで呼びやすく響きのいい名前にして、めちゃめちゃ真剣に提案文も作り込んで送ってたんだよ。でも今思うと逆にそれがよくなかったのかもしれない。当選したネーミングを見ると、どれも複数の意味をかけたりなんか全然してなくて、提案文も2行くらい。重要なのはあくまでその名前をつけて商売が成功するかどうかで、名前をつけたプロセスなんて究極どうでもいいんだな、と頭では納得しつつ、アホくさくなってすぐやめた。ていうかそもそも、全てに先立つ商品の顔であり、今後もずっと使い続けることになる一番重要な要素であるはずのネーミングを、会社の関係者でもなんでもないどこの馬の骨とも知れないやつに任せるのが私にはよく分からない。俺が社長だったら絶ッッッテーやだわ。少しでも混じり気というか、関係ないやつの人生が入ってきてる感じをどうしても受けてしまう。先入観がないとか社内でギスギスしないとかそういうことを優先しているのだろうか?

だから100%俺がつけたこのバンド名はとても気に入っている。今は少し気恥ずかしいが、4人もそのうち慣れてくれると思う。死ぬまでに片付けなければならないことは脳内外にまだたくさんあるが、俺らしさを貫くぞと思えば頑張れる。皆さんも行き詰まったらぜひ脳内のバンドに名前をつけてみてください。

 

いろんなバンドのネーミングの法則を分析しながら議論してて矜子が結局一番かっこいいなと思ったバンド名

Cymbals

 

230322 菜の花/フェットチーネへのアクセス

野菜が安くなってると何も考えずに手に取ってしまう。この前はなばなが安くなっていたので買った。ガチャガチャと炒めてクリームパスタにして食べた。うまかった。そして今日は菜の花が安くなっていたので買ってきた。どうやって調理するかまだ決めてない。なばなと菜の花って何が違うの? 調べたけどよくわからなかった。
料理全然できないしこだわりもないし、野菜も何をどう調理したらうまいとか全然わからずにひたすら安いものだけを手に取って適当に食べてるんだけど、菜の花にはなぜか惹き寄せられる。菜の花をはじめて食べたのは、喫茶店でバイトしてたときだった。春メニューに切り替わると、シートでくるまれて毛糸のようなシルエットになった菜の花が届く。けっこうな圧でミチミチにくるまれているので、手に取ると重さを感じる。はじめて食べたときからずっと変な味と香りだなあと思っていて、自分でも美味しいと感じているのかわからないのだが、他のどの野菜とも似ていない独特の変さがあって気がつくとあの味と歯応えを求めてしまう。書いてて思ったが、人から見た俺もそうありたいかもしれない。

茶店でバイトしてたとき、まかないは何を作ってもよかったのだが、私のお気に入りはフェットチーネのパスタだった。あの食感が大好きで、ナポリタンだろうがジェノベーゼだろうが全部フェットチーネで作っていた。一人暮らしをはじめてからも、フェットチーネ食べまくるぞと思っていたのだが、現実ってフェットチーネへのアクセス悪すぎてビビった。どこのスーパーにも売ってない。たまにあるけど、なんか外国から輸入してきたみたいなやつで、幅もかなり短いし、全然心を開けない。トップバリュフェットチーネとかないの? ふと気付いたが、そもそもフェットチーネは生での提供が基本なので、乾麺では手に入りにくいということか。バイト先ではあらかじめ茹でて冷凍したものを使用していたので身近だったというわけだ。
なるべく自分の身の丈にフィットした丸まった生活をしようと心がけているが、このようにどうしても生活レベルと釣り合わない嗜好も出てしまう。しかし自分で納得しているものを食べないことが一番損だと思うので、生か冷凍のフェットチーネを買える店をコツコツ探していこうと思う。ロング缶110円のバーリアルが消えてしまったこの世界で、もがきながら生きている。

230317 551のタイミング 他

230315 久しぶりに551に行った。豚まんと、堯柱焼売という貝柱が入った焼売が今日までの限定らしかったのでそれも買った。幼い頃から慣れ親しんだ味だが、一人暮らしを始めてからは食べていなかった。何年経っても変わらない味、これよこれ〜と思いながらパクパク食べた。中華料理の容赦ない油っこさと強い匂い。油分が多すぎて食べた後当分は手と口の機動性が大幅に低下する上にちゃんと胃ももたれる。部屋に動物性の匂いが充満する。野菜要素もない。551の一部の店舗で売られているお弁当を何度か食したことがあるのだが、あれは本当にすごい。メインのおかずは唐揚げ、ごはんは炒飯。味on味。付け合わせは焼売と甘酢団子。その潔いほどの野菜のなさと油のパワー。それゆえに何日も連続しては食えない。ガチ勢はどのくらいのペースで生活に551を取り入れているのだろうか。毎日は食べられないが、551からしか得られない闇雲なエネルギーが確かにあるのだ。書いてたら食べたくなってきたな、あのゴリッゴリの唐揚げ……

230316 ↑を入れたエコバッグが油でべちょべちょになっていたので(油自体が漏れていたというのでなく、あの紙の箱からどうしても滲み出てしまう蒸気のようなオーラのようなものによって)洗濯したら、豚まんについてきたからしが入ってるのを忘れていた。しかし中身は無事で、その強さに感動した。
スーパーに行った。バーリアル(トップバリュ発泡酒)の現行バージョンが今の在庫分で終わるという知らせから少し経ち、早くも店頭からは俺が毎日飲んでいたあの現行バージョンが姿を消し始め、40円高い新バージョンが並びだしている。俺はこれからどうするのだろう、という何度となく繰り返した問いがまた頭をよぎる。

230317 曇り空。上着なしで外に出ると寒かった。手塚治虫キャラクターズのシールが欲しくてキャンドゥに行ったのだが流石にもうなかった。今まで意識して見ていなかったが、百均においてキャラクターグッズコーナーが占める割合はどんどん増えているようだ。そりゃ売れるからな。迷った末に、唯一残っていて埃を被っていた集合絵の黒いポーチを買った。薄っぺらいし微妙に透けてるし、何より中途半端なサイズで何を入れるのが正解なのかわからない。このポーチにフィットしそうなもの、フロッピーディスクくらいしか思いつかない。しかし買ってしまったからには、このポーチを活用する努力を放棄することは許されないだろう。バッグの整理されてなさに定評のある矜子のことだ、使い道は遠からず見つかるに違いない。限られた資源と鞄の容量をいかに使うか、それを漫画の神様は今なお問うているのだ。

ちぇんちぇいはSDでもかっこいいのよさ。ピノコが"SD"という言葉をちゃんと理解して使いこなしてたらなんかやだな。