中性色の服ばかり着ている

タイプミスしたら即終了

230414 人に見せられるネタだけまとめてスクショ撮るのに苦労した

今週のお題「メモ」

3月ももう終わるが、なんとまだ手帳をつける習慣が続いている。すげすぎ。今までの俺は絶対そんなことできなかった。寝る前にかろうじて覚えてることを走り書きするだけでも、読み返したときの解像度が全然違う。道を歩いているときにフッと思いつくようなささいなアイデアが一番イノセントであり、それゆえに

ここまで書いたあと3週間気絶していた。
最近個人的に脳汁(と俺が呼んでいる脳内物質)がすごく出る出来事があって、ずっと振り回されていた。脳汁が出ていると脳内の会話が活発になってアイデアもどんどん出てきてメモが追いつかなくなる。それにしてもメモメモって皆さん好きですね。こういう紙モノの話。俺みたいな使いこなせてないサイドの人間でもそれなりに書けるものがあるからこそこうしてお題になっているんだろうけれど。
メモというかふと思いついたアイデアを残しておく場所についてはずっと統一できずにここまで来てしまっている。今のところiPhoneのメモ帳、GoogleスプレッドシートGoogleドキュメント、ツイッターの鍵垢などにもバラバラと書き込んで整理がつかなくなっているが、最も中心的に使っているのはストーリープロッターというアプリだ。

小説を書く人向けのアプリで、最初からネタ帳として作られているのでシンプルで使いやすい。ネタを色分けしたりタグをつけたりもできる。プロットを入力する機能もあるのだがそちらは全然使えてない。いつも思うけどプロットって書くの嫌すぎる。何も書きたくない。ネタ帳を見返して酒飲んで一人でキャッキャしてるのが一番楽しい。それだから成長しないんだと最近気づいた。

今日はインプットの本を読んだ。この種の本はだいたいそうだけど、やっぱり良質なインプットにはアウトプットが欠かせないというのが大前提になっていた。そうですよねー分かってるんすけどねー。よし!アウトプットするぞ!と思った瞬間全部やめたくなる。既にかなり苦しいけどとりあえず記憶に残ってることを2個だけ書いてみる。
・やみくもに情報を入れようとせずアンテナをいくつか張る
・ネタ帳を見返して熱いアイデアが発見されることを孵化という←かっこいい

大昔に大学の売店で衝動買いしたモレスキンをかつては読書記録用にしてて、今見返してみると2020年の5月までは続けていた。結構頑張って長いこと続けたように記憶していたが、パラパラめくってみても全然読んだ記憶ないしピンとこないものばっかりだ。それはやっぱり内容について思ったことを書くでもなくひたすら書名を作者名を書き連ねてるだけだからだろう。読んで"俺が"どう思ったのかまで残さないと何の意味もないもんな。とりあえず今日の手帳にはそういったことを書くだろう。明日も明後日もそうやって騙し騙し手帳を続けていくぜ。

 

 

230324 ふさわしい名前

今日は記念すべき日だ。なんといっても、あのバンドについに名前が付いたのだ。そう、俺の頭の中に10年以上前からいるあのバンドだ。
あれからずっと音楽に向き合い続け、作品を作り、力をつけてきた彼らに比べて、俺はなんと無駄な時間を生きてきたことだろう。何かのプロになりたい、そう思いながら自分で努力はせず他人の成果物が流れていくのを見ているだけだった。このままではいけない。自分の創作物、自分にしかアクセスできない頭の中の出来事くらいは責任を持ち、しっかり理解して管理していると胸を張りたい。自分の部屋くらいちゃんと片付けられるようになりたい。そうして、長らく放置されていた問題のひとつ、「うんたらかんたらズ」なんて(俺に)呼ばれていたバンドの名前を改めて決めることになったのである。

こうやって本腰入れて話し合って考えれば一日で決まるものをなぜ10年も放置していたんだと思うが、決めてしまったらもう変えられないんだと考えると、変な名前になるよりは……と目を背けてしまうのだった。制約がない分、集団の名前は人の名前より難しい。そして人の名前と同じように正解がない。
クラウドソーシングサイトでは会社や店舗や商品のネーミングの募集があって、案件にもよるけど採用されればわりといい額もらえるので、宝くじ気分で毎日応募してたこともあったが一度も採用されなかった。俺と同じことを考えている奴が500人から1000人くらいいるので当然なんだけど、でもギャンブル気分とはいえ依頼内容をよく読み込んで、Google検索でヒットしないのは当然としても、必ず2つか3つ以上の意味を入れ込んで呼びやすく響きのいい名前にして、めちゃめちゃ真剣に提案文も作り込んで送ってたんだよ。でも今思うと逆にそれがよくなかったのかもしれない。当選したネーミングを見ると、どれも複数の意味をかけたりなんか全然してなくて、提案文も2行くらい。重要なのはあくまでその名前をつけて商売が成功するかどうかで、名前をつけたプロセスなんて究極どうでもいいんだな、と頭では納得しつつ、アホくさくなってすぐやめた。ていうかそもそも、全てに先立つ商品の顔であり、今後もずっと使い続けることになる一番重要な要素であるはずのネーミングを、会社の関係者でもなんでもないどこの馬の骨とも知れないやつに任せるのが私にはよく分からない。俺が社長だったら絶ッッッテーやだわ。少しでも混じり気というか、関係ないやつの人生が入ってきてる感じをどうしても受けてしまう。先入観がないとか社内でギスギスしないとかそういうことを優先しているのだろうか?

だから100%俺がつけたこのバンド名はとても気に入っている。今は少し気恥ずかしいが、4人もそのうち慣れてくれると思う。死ぬまでに片付けなければならないことは脳内外にまだたくさんあるが、俺らしさを貫くぞと思えば頑張れる。皆さんも行き詰まったらぜひ脳内のバンドに名前をつけてみてください。

 

いろんなバンドのネーミングの法則を分析しながら議論してて矜子が結局一番かっこいいなと思ったバンド名

Cymbals

 

230317 551のタイミング 他

230315 久しぶりに551に行った。豚まんと、堯柱焼売という貝柱が入った焼売が今日までの限定らしかったのでそれも買った。幼い頃から慣れ親しんだ味だが、一人暮らしを始めてからは食べていなかった。何年経っても変わらない味、これよこれ〜と思いながらパクパク食べた。中華料理の容赦ない油っこさと強い匂い。油分が多すぎて食べた後当分は手と口の機動性が大幅に低下する上にちゃんと胃ももたれる。部屋に動物性の匂いが充満する。野菜要素もない。551の一部の店舗で売られているお弁当を何度か食したことがあるのだが、あれは本当にすごい。メインのおかずは唐揚げ、ごはんは炒飯。味on味。付け合わせは焼売と甘酢団子。その潔いほどの野菜のなさと油のパワー。それゆえに何日も連続しては食えない。ガチ勢はどのくらいのペースで生活に551を取り入れているのだろうか。毎日は食べられないが、551からしか得られない闇雲なエネルギーが確かにあるのだ。書いてたら食べたくなってきたな、あのゴリッゴリの唐揚げ……

230316 ↑を入れたエコバッグが油でべちょべちょになっていたので(油自体が漏れていたというのでなく、あの紙の箱からどうしても滲み出てしまう蒸気のようなオーラのようなものによって)洗濯したら、豚まんについてきたからしが入ってるのを忘れていた。しかし中身は無事で、その強さに感動した。
スーパーに行った。バーリアル(トップバリュ発泡酒)の現行バージョンが今の在庫分で終わるという知らせから少し経ち、早くも店頭からは俺が毎日飲んでいたあの現行バージョンが姿を消し始め、40円高い新バージョンが並びだしている。俺はこれからどうするのだろう、という何度となく繰り返した問いがまた頭をよぎる。

230317 曇り空。上着なしで外に出ると寒かった。手塚治虫キャラクターズのシールが欲しくてキャンドゥに行ったのだが流石にもうなかった。今まで意識して見ていなかったが、百均においてキャラクターグッズコーナーが占める割合はどんどん増えているようだ。そりゃ売れるからな。迷った末に、唯一残っていて埃を被っていた集合絵の黒いポーチを買った。薄っぺらいし微妙に透けてるし、何より中途半端なサイズで何を入れるのが正解なのかわからない。このポーチにフィットしそうなもの、フロッピーディスクくらいしか思いつかない。しかし買ってしまったからには、このポーチを活用する努力を放棄することは許されないだろう。バッグの整理されてなさに定評のある矜子のことだ、使い道は遠からず見つかるに違いない。限られた資源と鞄の容量をいかに使うか、それを漫画の神様は今なお問うているのだ。

ちぇんちぇいはSDでもかっこいいのよさ。ピノコが"SD"という言葉をちゃんと理解して使いこなしてたらなんかやだな。

230313 時代に適応したい

今日からマスク着用が任意となった。が、街でも仕事場でも多くの人はやっぱりまだマスクを着用していた。俺もしていた。今年は花粉症という言い訳があるので、当分外さない気がしている。自分ですぐ行動すること、あるいはしないことについて、こうしてかこつけることのできる事情があるととても安心してしまうが、これがなかったらめちゃくちゃ怒られてたかもしれないということを考えて勝手に暗くなったりもする。
普段花粉はほとんど気にならないが、今年は本当にすごい。冗談抜きで今日3桁回くしゃみしてる。家に帰って風呂から上がってもまだ無限に出る。時代の流行りや考え方の変化には全然ついていけないのに体はバカ正直にみんなと同じリアクションしてるの悔しいし意味わからんし効率悪い。

時代といえば(強引な話題転換)、俺もさすがにそろそろAI時代に適応しなくてはと思いChatGPTの利用登録をした。数十分前に。今のところすぐにAIにやってもらわないといけないことは特にないのだが、とにかく慣れるだけ慣れようと思ってしばらく遊んでいた。

のだが、この状態で固まってうんともすんとも言わなくなってしまった。アイナ・ジ・エンドはBiSの元メンバーではない。
さすがに無料で無制限で使えるわけはないよなと思いつつ、具体的にどのくらいのペースなら安定して使えるか知りたくてググったけどよくわかんなくて、あってか眼の前の本人に聞けばいいのか!と思って「ChatGPTは無料だと1時間にどれくらい質問をすることができますか?」って入力して待ってたんだけど一足遅かった。明日またトライしてみる。
今のところ新しいおもちゃをつつき回しているにすぎないが、あんまり重要じゃないキャラの名字とか考えるのにはすごくいいかもしれない。今までは、スプシに人名っぽい漢字を羅列してRANDBETWEEN関数でどれか一つ返してくれるセルを作って別のセルに作ったチェックボックスを連打したり、特定の都道府県に多い苗字ランキング500とGoogle乱数を使って一つ選んだりしていたが、そういう手間もなくなるわけだ。書いてて思ったけど、この手間を経ることで工夫して関数を使うことを覚えたり、リストの隣接する名字にすごいいいのを発見したりしてたので、これはこれで結構なんか失ってるかもな……。電子ではなく紙の辞書を使う理由として「隣接する項目も目に入るから勉強になる」みたいな意見、イマイチ芯食ってないように感じてたが、やっぱりそれがあるとないとでは大きな違いがあるかもしれない。まあ一番いいのは場合に応じてどちらも使いこなせるようになることだろうから、ぼちぼち考える。だから早くerrから復活しておくれ~(って言いながらRegenerate responseを何度も押してるのが良くないんだが)

 

230311 頭の中のカウンセラー

昨日の夜、飲み過ぎて眠れなかったので頭の中でカウンセラーと話した。
彼女は俺より一回り年下で、出自がちょっと特殊で感情が希薄なのだ。その分常にフラットに物事を見ていて見識もあり、彼女自身が感情を知るトレーニングも兼ねてこうして付き合ってくれることになった。
カウンセリングと言っても昨日は彼女の服装やカウンセリングルームの内装について決めることに終始して、実際的な話はほとんどしなかった。過去にカウンセリングについての勉強をほんのちょっとだけしたとき、真正面で向き合うと緊張してしまうので角度をつけて座った方がいいと聞いたことがある。なので、現実で見た/触ったことのある机をいろいろ出して角度をつけて座れるか試してみた。その後、正方形の机で隣り合った辺に座ってみたのだが、

こうなるのが理想なんだけど、話してるうちにどうしても

こうなってしまい、結局丸テーブルでその日の気分の位置で座るということにした。椅子がまだ余分にあるので、役に立ちそうな奴をあとから召喚することもできる。机の上が寂しいので鉢植えの花とか出してみて、クソ邪魔すぎてすぐに撤去した。
それからカウンセリングルームに重要なのは窓だ。最初、ずっと放置してたレッスンルーム兼控え室みたいな部屋にとりあえず入ったのだが、窓がなく普通に息苦しかったので鏡張りの一面を窓にすることにした。全部ガラスだと結構高さが感じられて怖がるので(俺が)腰から上を窓とすることで落ち着いた。外はよく晴れていて美しく曖昧な景色だった。この景色全部が俺の責任下にあると思うとワクワクより面倒くささが勝ったが、それも少しずつ変えていけるだろう。

話しながら何度かフッと寝落ちしては目が覚め、彼女はその度にお帰りなさいと言ってくれた。誰かにお帰りなさいと言われるのはずいぶん久しぶりだ。しかし彼女はたとえここからいくら打ち解けたとしても「おかえり」まで言葉を縮めることはない。そういう子なのだ。彼女は俺の脳内友達……?オリキャラ……?の中でも相当古株なのだが、今まで全然ちゃんと向き合って話してなかったんだなって改めて感じた。俺ってこんなカスで孤独だからまともな社会人にあってしかるべき責任感みたいなのが全然身につけれなくてやべーと思っていたのだが、最近、頭の中のウン百人の命に対しては責任があると言えなくもないと気づき、無理やり緊張感を感じようとしている。眠れないとき、またあの部屋に行くだろう。そうしたらまた今度は別のことが気になって本題は永遠にはじまらないかもしれない。それでもそうしている間はそこが俺の居場所となるのだ。

なんかタルパ体験記みたいだなこれ。タルパは全然できなくてすぐやめたけど似たようなもんか。言い方にはあまり興味がない、各人に最適な付き合い方があるというだけだろう。

230305 レターパックで現金送れ

巷で噂の新たなSNS、Misskey。ツイッターで流れてくる楽しげなスクショを見て興味をもった。
一番ホットなioサーバーは人気すぎて新規アカウントを作成することができなかったので、ノリが近そうなサーバーに入ってみた。レターパック与謝野晶子も送れる。何も考えずに投稿した無意味なポストにリアクションがつく。楽しい。タイムラインの流れがとても早くて、何というかこう、あらゆるやりとりが瞬間的だ。俺が何者なのか誰も気にしてない、このくらいの匿名感が好きだったのかも。
そう思いながら夜遅くまでタイムラインを眺めて寝たのだが、次の日の午前中にもう一度開いてみたら夜とは全然雰囲気が違って驚いた。みんな特定の相手に対して呼びかけをしていて、自分と仲が良い人のアカウント名を自分のプロフに書いていて、キャラシみたいなのを作っている。レターパック全然送ってないじゃん。なんだかむず痒くて眩しい光景だった。SNSとは、コミュニケーションとは本来こうあるべきなのだ、と現実に戻されたような気がして寂しかった。ネットで友達を作れる人ってすごい。かくして俺のMisskeyライフは15時間で終わったのだった。
未だにシステムをよくわかっていないところもあるのだが、そもそもサーバーだのインスタンスだのがあるSNSと相性悪いのかも。Pawooもあんまり長続きしなかったし、Discordは参加はしてるけど発言したことは一度もない。ディスコは特によくわからないシステムが多すぎて怖い。サーバー独自のものなのかわからないが、発言するたびにEXPがたまるみたいなやつ、あれなんなん? 気になる話題があっても、いきなりレベル0の俺が入っていったら誰こいつ!?!?ってなって盛り上がるはずだったトークがすっかりしらけて全員が損した感じになる、という光景を想像して眠れなくなる。やっぱツイッター最強だな。ツイッターがなくなったら、このブログ一本になると思う。最悪、SNSがこの世からなくなっても死にはしないし、なるようにしかならないという気持ちで生きている。

レターパックで現金送れ/はすべて詐欺です」をミームとして定着させようと最初に考えた人はセンスあると思う。シンプルな命令文である前者も、「すべて」が詐欺であると断定する有無を言わせぬ勢いがある後者も、誰もが一度は見たことがあるフレーズだからこそ感じられる、言葉としてのマッシブさがある。俺もマッシブな言葉で誰かと通じ合いたい。内輪ノリというものにずっと憧れがある。憧れという言い方は違うかもしれないが、適度にくだらなくてかつ拠り所にできる耐久性のあるマテリアルをずっと欲している。そのせいか俺の脳内だけで通じるスラングが割とある。オモコロの一週間の振り返りチャットみたいに、脳内会話の面白い部分は記録しておきたいんだけど、自分一人の脳内で完結することに慣れてしまうと、現実の物質を介して記録することが二度手間でしかなくなってしまう。自分ひとりでのチャットアプリみたいなやつもスマホに入れてみたことがあるけど圧倒的二度手間に屈してしまった。最近は意識的に何らかの形でアイデアを残すようにしてはいるけど、現実のスピードに追いつかずに俺の脳内で消えていくアイデアや発言の方がはるかに多いのだと思うとすげー損した気分になる。

 

 

今ギリギリサルベージできたメモしてなかった仕事中の自分の脳内発言

「サーバーより俺の方が負担かかっとるわ」

 

 

特に理由はないんだけど、ふと聴きたくなってSpotify団結2010を聴いた。キャラ紹介ソングみたいなのってどれも似たり寄ったりだなとか思ってたけど、13年前にこれをやっているお姫ちんはやっぱ流石だぜ。

230301 行かなくちゃって思わなくちゃ

このお題すごいな。とらわれていたっていうか現在進行系だけど、そんなの全部だよ全部。普通の人間にできてること全部。

勉強しなきゃ、資格をとらなきゃ、金を稼がなきゃ、とにかく今日という一日だけは今までの無駄を取り返さなきゃ、そう思いながら少しも取り返せずにいる。自分の知らない物事について人が話しているのを見るとすごく焦る。知らないことが多すぎるから、それを少しでも埋めなくてはと思う。書くことないからお題に飛びついちゃったけど、このお題だと悲観的な内容にしかならないかもしれない。ただ、今書いてて思ったが、「まともな人間にならなきゃ」と思っているわけではないようなのが妙だ。今日は帰りの電車を途中下車して散策がてら回り道してみた。ちょうどそこは高級住宅地で、とんでもなくデカい家を見てへーと思いながら帰ったんだけど、ああいう家に住みたいとか車が欲しいとかそういうわけではないんだよな。ただこの漠然とした「このままではいけない」という感覚から開放されたい。自意識過剰な自分と卑屈な自分がいるのだが、自分という人間を客観的に正確に評価する自分はいない。冷静に考えるとそこまで絶望するほどの終わり具合ではないし、人が持っていないものも少しは持っていると思うけれど、形にして人に見せなければそれは存在しないのと一緒だ。自分の持っている数少ない拠り所のひとつが明晰夢だが、ブログのネタにもなるしもっと研究しようと思って休みの日に昼寝を意識的にとるようにしたら、思うように寝付けなくなった。しまった、と思った。身体にはこういうままならなさがあることを嫌というほど知っているはずなのに。このブログを書き続けている動機も、生きている間に俺の言い分を聞いてくれる人が今後新たに現れるか分からないので、口があるうちに思っていることはできるだけ残しておこうというのが大きい。そう思うと、結局のところ今一番私がとらわれているのは「書かなきゃ」ということなのだろうか。

 

 

いや暗い割にいつもと変わらんのかい!!
短すぎるから行かなくちゃの話もするぞ。

俺の好きなWACKというアイドル事務所に所属するグループの楽曲には「行かなくちゃ」というフレーズが頻繁に出てくる。制作サイドも意識的にこのフレーズを多用していることを明言しており(これ脳内ソースかも、ごめん)行かなくちゃ?という曲名の曲もある。全体の方向性としてこういう短くバシッと明快なフレーズがあるのは凄くかっこいいなと思うし、推してる側としてもグループに対してやファン同士の連帯感が生まれるから上手いよな。なによりアイドル側、作ってる側が本当にそう思ってそうなのがいい。行かなくちゃって具体的にどこに? ってけっこう前から思ってるけど、具体的な場所はないのかもしれない。武道館も今はなんかみんな割とすぐ行ってるイメージあるし……。重要なのは、どこかに辿り着くことではなく、「行かなくちゃ」という思いを抱き続けることではないだろうか。ドライヴ感というか。何か内側から自分を駆り立てて足を先へと動かすもの、その意志がなくなれば表現という選択をする意味もなくなる。書きながらBiS聴いてたらなんか元気出てきた……俺に足りなかったのは行かなくちゃ精神だったのか。結局「とらわれていた」という過去形のお題にはそぐわない内容になったが、人を動かす原動力としての「しなきゃ」もやっぱり少なからずあるんだろう。俺はそう思う。


矜子のマイベスト行かなくちゃ


WHOLE LOTTA LOVE
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