中性色の服ばかり着ている

タイプミスしたら即終了

221123 俺の感覚を守る

今週のお題「防寒」

めちゃくちゃ暑がりで寒さが好きなのでこの期に及んでもおよそ防寒と呼べる行為を実施していない。暖房代もかからないので安上がりだ。
チェストの奥にマフラー2本とニット帽1つが眠っているが、こっちに来てからは一度も身に着けてはいない。いずれも高校ぐらいのころに買ったもので、色合いはとても気に入っているのだが、「みんな持ってるし、普通の人間はこういうものを身につけるのだろう」という理由だけでほぼ何も考えずに買ったので自分のライフスタイルや体質には何一つ合致していない。マフラーを巻くと、最初は温かいがそのうち汗で蒸れてきて不快さが勝るようになり、そのくせ末端は冷たいままだ。バッグに入れるにもイスやハンガーにかけておくにも場所を取る。こんな簡単なことがなぜ買う前に想像できなかったのだろう。自分がどのくらい寒さを感じているのかすら自分では気づくことができなかったのだろうか。冬になると白い息を吐き、制服の上におのおののマフラーをおのおのの巻き方で巻いて帰路をゆく高校生という存在に同化しなければいけないと自然に思っていた。そういう強い観念があったというわけでもなく、ただ意識に上ることすらなくそれが当たり前だと思っていた。そうして合わないマフラーを巻いていても友達はできなかったしそれが不思議だった。防寒具以外にも、そんなような遠回りや無駄遣いは山ほどしてきた。むしろそれ以外の経験の方が少ない気さえしてくる。そんなことをしなくてもいい、自分の楽なやり方を優先してもいいと気づいたのがいつだったのかはっきりとは思い出せないが、世界に放り出されたときから拾い集めてきた勘違いを一つひとつ捨てていって、高校生の頃の自分とは別の人間になった。ずいぶん遅い物心の芽生えだと思うが、それでも一応死ぬまでに気づけただけマシだと自分に言い聞かせている。この物心という言葉について俺は自分で頻繁に使いながらどこか信用していないところがあって、それは今の自分も未来の自分から見れば物心ついていない状態にしか見えないだろうということがわかっているからだ。高校生の俺も中学生のころに比べて自我できたなーと思っていたし、10年後の俺はやっぱり防寒最高だわと思っているかもしれない。そんな気持ちがずっとどこかにあるせいでチェストの肥やしになっているマフラーを捨てることができない。お題の参加ってこれで合ってるのか?