中性色の服ばかり着ている

タイプミスしたら即終了

221125 紙の本が繋がない世界

すっかり忘れていたが、はてなブログの日記本なるものに応募していた。

12/11に下北沢で実施される日記祭というイベントで配布される本に、私の日記も掲載してもらえるらしい。私は現地に行けないので行く方は楽しんでください。
自分で手に取ることができないので、どんな感じで掲載されるかはわからないのが不思議な感じだ。でもまあネットでだって見る環境が違えば少しずつ違ったものになるし、自分の文章が他の人の目にどう映ってるのか本当に理解することはできないのかもしれない。本日のそれっぽいこと言うコーナーは以上です。
文章が本として出力されるのは久しぶりな気がする。前回の文フリで死ぬ思いをして変なコピー本を作ったのが今年の1月だから遠いような近いような。書こうと思っているアイデアはいくつもあるんだけど、なかなか形にできないでいるうちにめちゃめちゃ夢に出てくるようになったし、殺伐としていたはずのキャラたちも最近ちょっとずつ打ち解けてきていてちょっと目を離した隙になんかゲームとかしてるし、そろそろヤバいと思っている。昨晩も、「この作品まだ世に出てないけどめっちゃ面白いんです」という内容のQuickJapanみたいなサイズ感のムックが出ている夢を見た。情けない。毎日PCの前に座れるようにはなってきたのでいつかは出したいと思う。それ以外に人生の目標もないし。

アンソロを作ったりオンリーイベントに参加して自然に友達を作れる人すごすぎると思う。ツイッターで一方的にシンパシーを感じてた孤高っぽい人が実はめっちゃジャンル内で顔広かったりして、ずるない?と思う。
「そらネットではみんなそう言うだろ」という話なのだが、私が本を作る動機は、自分の中の物語というか世界を、確たる形にして残したいからだと感じている。人の心に残る作品が書きたいという気持ちは私には全く欠けているし、実際読んだ人の心に残ってないだろうなという手応えもある。私は、同人イベントの「スペースや自分の本を一から十まで自分の好きに作り上げることができる」という点に魅力を感じている。仕事や日常生活は多かれ少なかれ他人の干渉を受けるが、本を作るという行為は全て自分の能力と責任で完結させることができる。自分の本には絶対口出しされたくないし、作業は一人でしたいからもくりもできない。なんかネットの適当な性格診断とかするんだけど、やっぱり「自分一人で気が済むまでやりたい派」みたいな結果が出がち。インターネットで知り合った人もいるけどリアルで会ったことは一度もない。次に本を出すなら絵やデザインはプロに頼んでみようかなと思ったりするんだけど、そこから何か社会的なつながりが広がることはないんだろうと頼む前から確信している。生まれてからどの分岐を間違えたらこんな絶望的に人と関われない人間になるのか自分でも謎すぎる。