中性色の服ばかり着ている

タイプミスしたら即終了

230222 間賃

レジ袋が有料化して早2年半っすよ。
俺は元々レジ袋断り族だったので、むしろ断る手間がなくなって良いなくらいに思っていた。実際スーパーやコンビニではレジ袋を購入しないこと前提で話が進むようになり、それは良かった。
しかし。
この日記で語りたいのは、今なお存在する袋不可避の場面をどう攻略するかということだ。ヨドバシなんかは、燃やしても空気を汚さないとかなんとかという謎に粉っぽい袋に変えて無料で配布を続けている。ああいうやつの話です。
バッグに空きスペースがある限り、エコ素材だろうがなんだろうがいらないものはいらない。自分は根がエコロジーにできているので、今までは義務感でレジ袋を断っていたつもりだったのだが、それ以前にシンプルいらなすぎる。あの粉っぽい袋、持って帰ったあと活用する方法あるの? 軟膏だの乾電池だの、ポケットにでも入るようなものをわざわざ袋に入れてもらう、そのひと手間に罪悪感を覚える。それを防ぐためには店員さんが袋に手をかける前にこちらから言い出す必要があるわけだが、バーコードを読み取りポイントカードを読み取り、小銭を数えて、とさまざまな工程がシームレスに行われる中で的確なタイミングで声をかけるのは、人生において何度も遭遇する音ゲーの中でも高難度の部類といって差し支えない(少なくとも俺のようなコミュニケーションが不得手な人間にとっては)。手をかけたあとでも、また戻せばいいだけなんだから声かければいいじゃん、って思うじゃん? そこが矜子の小さいところ。一度手に取ったものをまた戻させるのもそれはそれで申し訳ないってワケ。世界中のあらゆるレジがセルフレジになってほしいよ俺は。

紀伊國屋書店に行ってファイルを買った。紀伊國屋書店も、有料化を機にビニール袋ではなく紙袋に入れてくれるようになったが、俺にとっていらないことには変わりがない。今日も断りそびれて店員さんが紙袋を取り出すタイミングに間に合わなかった。諦めて紙袋ごともらおうと思っていたのだが、結構デカめで厚みもあるリングファイルを2つも買ったため結構サイズがギリギリだったようで、途中まで押し込んだあと諦めて別の袋に手をかけようとした、そのタイミングでようやく声が出た。入らないんだったら大丈夫ですといって裸のファイルを受け取ってきたのだが、カウンターに残っていたピッチリと直線の型のついた紙袋のことをこの時間になってもまだふと考えてしまう。あれは使いまわされることもなく廃棄されてしまうのだろうか。そう思うとあああーーーーー!! 一つ一つは小さな無駄でもそれが積み重なって俺の罪を形作っている。
今日の経験を通じて一つ気づいたこと、いや元から薄々気づいていたことがある。袋に入れるという工程がないと、それはそれで間が持たないのだ。俺のようないちいち小銭やらカードやらを出すのにもたつく人間が相手の場合は特に。俺はモタモタ財布をあさる、店員さんは丁寧な手つきで商品を袋に入れてくれる、そうしてお互いの気まずい時間をゼロにするための調整弁としての役割があるのではないか。そもそも紀伊國屋の無料の紙袋って取っ手がないから元々あったビニール袋と全く同じ役割を保持してはいないわけだ。それでも商品を守る、そしてカウンターを隔てて対峙する二者のタイムラインを調整するという機能があるからこそ形を変えて無料での配布を続けているのではないか。いらないものを持って帰って捨てるもったいなさとめんどくささ、それは即ち"間"に払わされている対価なのではないか。こんな適当なことばっか書いてたらそろそろ怒られない?
よくもまあ毎日毎日こんなしょうもないことを飽きもせずに書き続けられるもんだと我ながら思う。でも書き出してみると、俺なりの考え、言葉が芋づる式にズルズルと引き出されてくる。そして俺という人間のしょうもなさが立体的なものになっていく。自分を偽るよりはマシだと分かっているが、自分の解像度が上がっても全然良い気持ちとかない。深い人生を生きてるやつは自分の感じ方や気になりポイントを全部ポジティブなものとして受け止めることができているのだろうか? 教えてくれよ。なあ。

↑これ何!? 貼ったら何が起きるの!? 空間が寂しいので貼れるものがあると貼りたくなる。空いてるスペースがあるといらすとやの素材を貼りたくなる。俺だけ?