230102 不座の誓い

俺は基本的に電車で座席に座らない。疲れてても長距離でもできるだけ座らない。
特に強いポリシーがあるというわけではない。邪魔になりそうなときや人と一緒にいるときは座る。立つことにメリットを感じているというよりは、座ることにメリットを感じないのでそうしている。基本的に立って座ってという動作が面倒なのだ。例えば近くにお年寄りや妊婦が乗ってきたら当然席を譲るわけで、そこで発生するちょっとしたやりとりもあればあったで心温まるワンシーンではあるのだが、そもそも最初から誰も座ってなくてノータイムでその人が座れる方が社会全体の効率としては良いのではないかと常々思っている。そういうこともあり、電車内ではたいてい立ってスマホを見ているか本を読んでいる。しかしこれはこれで面倒なプレイスタイルではある。
普段使う路線があまり混雑していないので、俺は電車に乗るとまず乗った方とは逆の扉の前に立つ。ほとんどの場合はこれで安定なのだが、大変なのは開く扉が駅ごとに変わる路線の場合だ。目の前の扉が開いたとき、一人も乗り降りする人がいないならそこでじっとしていてもいいが、日中だと利用者が全くいないということはまずない。そのため俺は常に車内アナウンスに耳を澄ませる。いつも思うけどどっちの扉が開くかあらかじめ車内や時刻表のどっかに書いておいてほしい。目の前の扉が開くと分かったら、反対側の扉の前にチョコチョコと移動する。本を持ち、コートを小脇に抱えたまま。このチョコチョコは俺の人生に必要なチョコチョコなのだろうか? とよく思う。空いてる電車だと特に自分が浮いた存在になるのを感じるし、路線によっては目的地に着くまでに何度もチョコチョコチョコチョコを繰り返さないといけないこともあり、これは電車を利用する人の正解ではきっとないんだろうな、とも思う。空いてるときには座り、混雑しているときには一番邪魔にならない場所にすみやかに移動する、これがまともな社会人の共通認識だろう。しかしですよ。臨機応変ってやつが俺はできないんだ。状況に応じて柔軟にとか言って、その場その場で正解とされる場所、姿勢、態度、表情、言葉、そういったあらゆることの当たり判定が狭すぎる、この世界のすべてのシーンにおいて。とっさに判断できない俺みたいなやつは、正解の行動をとっている人を探してキョロキョロして、でもそうしている間にも当たり判定は刻々と変わっているので、結局1秒も正解の行動をとることができずに居心地の悪い思いをしながら座り続けることしかできない、そんなキョロ充人生はもうごめんだ。臨機応変ができない人間だと自分で理解したからこそ、「立っている」がデフォルトの状態であると決めることで迷う場面を少しでも減らすことができる。キョロ充になるくらいなら俺はたとえ数秒間浮いた存在になるとしてもチョコチョコ人生を選ぶ。今までの人生でこんなにチョコって打ったことないかもしれん。チョコ食いたくなってきた。こういうときに限って運悪く家にあるんだよな。今から食べるか。まあ立ってる分ちょっとだけカロリーも多く消費してるから許せ。